【根源の氣づきと思考癖に氣づく事の違い】氣づきの探求でスピリチュアリティ(精神性)を向上させる
氣づきを得たのに、その問題から解放されない。
氣づきを得たのにすっきりしない。
という場合があります。
氣づきには、表面的な思考癖の氣づきと根底にある原因への氣づきがあります。
自己探求を通じてスピリチュアリティ(精神性)を向上させるためには、根底にある出来事への氣づきが必要です。
この記事では、その違いと感情の解放方法を解説します。
思考癖の氣づきは根源ではない
氣づきを得たと思っても、スッキリしない。
何も変化がない。
という事があります。
例えば
・怒らないようにしていた事に氣づいた
・いい人と思われたい自分が居た事に氣づいた
・いつも自分を責めてしまっていた事に氣づいた
これを氣づきだと勘違いして、それで氣づいたと終わりにしてしまっている。
これも氣づきと言えば氣づきなのですが、「自分の思考癖を知った」という事なんです。
何かの原因があって、このような自分を創り上げて生きてきたという事です。
この事に氣づいた事は、もちろん素晴らしい事です❢
この事にすら氣づかない場合もあるのですから…
このようになった原因には、必ずそうなった要因(出來事)があります。
根底にある出来事への探求と氣づき
この部分に氣づく事が「根底の氣づき」です。
怒りや他のネガティブな感情の根底に迫る
なぜ
・怒らないようにしようと思うようになったのか
・いい人と思われたいとなぜ思うようになったのか
・何が原因でいつも自分を責めるようになったのか
どうして、そのような思考になったのか
どうして、そのように演じるようになったのか
そうなったのには、必ず原因となった出來事があります。
それを過去の出來事から掘り下げて辿っていかなければ、根底にある原因となった出來事に氣づきません。
感情解放の重要性と過程
根底にある出來事は、ほとんどの場合なかなか思い出せません。
だから、根底に氣づくには時間がかかるのです。
・時間がかかるから面倒になりやめてしまう。
・思考癖に氣づいた事が「氣づき」だと勘違いして、それで終わりにしてしまう。
・「どうせ変わるわけがない」と決めつけ、内観すらしない。
このような事になっている場合は、同じ事の繰り返しで、いつになってもその感情を解放させる事は出來ません。
感情の感じ尽くしと解放
わたしも以前は半年くらいかかってやっと根底に氣づいた事もありますし、根底に氣づいて解放されたと思ったのにしばらくしてまた同じような感情になる事を体験し、「まだ根底まで辿り着けていなかったんだ!」と再び内観し過去の出來事から根底を探った事もありました。
内観の方法
例えば
「怒らない自分」はいつからなのだろうと内観していきます。
↓
ふっと「会社でイラっとする事を言われた事」を思い出しました。
でも、この時も怒らないで苦笑いしました。
※この時も「怒らないようにしている」ので、根源ではありません。
それ以前に問題となった出來事があります。
↓
次に思い出したのが「知人に酷い事をされた。」という事を思いました。
怒りが出てきたけど、嫌われると思って何事も無かったように振舞いました。
※ここでも本当の自分の感情を押し込めています。
「嫌われる」から何事もないように振舞っている。
では何故「嫌われる」と思ったのか?
↓
更に内観をしていくと、子どもの頃何かあると癇癪を起していた事や怒りをぶつけていた事を思い出します。
その都度母親から「そんなに怒ってばかりいると、人に嫌われるよ。」と言われました。
何度もそのように言われている内に、「怒ると人に嫌われる」という事を自分にインプットしていきます。
「だから怒らないように我慢するようになったんだ!
怒ると人に嫌われると思うようになったんだ!」
と氣づきます。
これがその感情の根源に氣づくという事です。
根底の出來事に氣づくと深い部分から「あ~そうだったんだ~!」とか、その氣づきがストンと腑に落ちるというような感覚になります。
または、何か憑き物が取れたような軽い感覚や、何かがスポンと抜けたような感覚になるかもしれません。
それが、根底の氣づきによる感情解放です。
感情を感じ尽くして解放させる方法
感情を感じ尽くすという事もよくお伝えしていますが、怒りを感じて出せなかった出來事を思い出し、その怒りを感じ尽くす事も感情を解放する為には大切な事です。
その時言いたかった事が出てきたのなら、それを言葉に出す事
その時の怒りが込み上げてきたなら、クッションにパンチする
などして下さい。
自分の内側から出て來なくなるまでやるのが、感じ尽くすという事です。
この時決してその相手に怒りをぶつける事はご法度です。
その怒りは相手ではなく、あなたの中で昇華しないといけない問題であって相手は全く関係ない事ですから…
また、例えとして「怒り」について書きましたが、怒りを出たら相手にぶつける方がいいのかという事ではありません。
怒りなどのネガティブな感情をいけないものとして押し込めた事が、怒りを感じる世界を創り出しているのです。
ネガティブな感情の解放がもたらす変化
押し込めた根底に氣づく事、その感情を感じ尽くす事で、怒りの感情が解放されていけば、怒りを感じるような出來事は表われなくなっていきます。
いつも同じような事が起こるという場合は、そこに氣づかないから同じような出來事が表れるだけの話です。
誰かが悪いと言う事もありません。
人間は喜怒哀楽の感情があります。
どの感情も「良い・悪い」という事はありません。
「ネガティブな感情を出さないようにしよう」という感情は間違いです。
出さないようにするのではなく、なぜその感情が出てくるのかの根底に氣づく事!