日本語や漢字は精神世界と繋がる波動の高い言語
【日本語の言靈の波動の髙さと日本語の歴史】日本語の神秘的な波動とその起源で日本語の波動の高さを解説しましたが、言葉だけでなく文字もかなりの靈力を持っているのが漢字なんですね。
本当の日本語や日本の漢字には、スピリチュアル(精神世界)と繋がるとても波動の高い言語です。
漢字は中国から伝わったという説がありますが、本物の天皇達・YAP遺伝子を持つ日本人が世界中に行き、中国にも降り立ち、文字などを教えていて、そこから帰還したから「中国から伝わった」となったのだと思います。
それは隠さなければならない真実があったからこそです。
漢字がスピリチュアルと関係あるの?
と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、漢字や本來の日本語とスピリチュアルは切っても切れない関係があるんです❢
日本語の波動の高さは類を見ません。
他の言語と全く異なる波動を発しています。
日本の言語は、かなりスピリチュアリティ(精神性)の高い言語なんです(^^)
日本人はYAP遺伝子(神の遺伝子)を持つ人種です。
YAP遺伝子については龍族宇宙人(シリウス)と日本人のルーツをご覧下さいね(^^)
それ故に日本人を抹殺しようと何万年にも渡り、殺戮や松果体の石灰化、思考の減退など様々な方法で、その靈力を封じ込める事やYAP遺伝子を壊滅させるような事をしてきました。
靈力を閉じ込められる事で、スピリチュアル(精神世界)と断絶出來るからです。
それでも、日本人を抹殺出来ずにいるので、食品添加物や農薬、薬の増幅、中国による乗っ取り計画などを仕掛けてきています。
今本当に過渡期で、ここで宇宙のエネルギーが変わってきたからと言って安心して何もしないでいると、みるみる内にその計画のまま日本は乗っ取られ、たちまちYAP遺伝子は壊滅を辿る事になります。
それぞれがご自身の精神性(スピリチュアリティ)を上げ波動を高めていく事が闇を一掃するには最も大切な事です。
波動を高める事と、日本に氣を取り戻す事が最優先です!
日本の氣を取り戻す事の1つとして、重要な役割を持つのが言葉であり文字です。
だから日本の漢字とスピリチュアルには、深い関係性があるんです♪
ここで氣を封印されてしまった漢字のいくつかの例と、その意味を解説していきますね
日本語も日本が出来た時からかなり変化しています。
カタカムナ文字や龍体文字などの神代文字は、宇宙と繋がっている文字です。
そこからどんどん変化して現在の文字になっているのですが、元々日本にはカタカナはありませんでした。
カタカナが使われるようになったのは、明治になってからとの事です。
漢字廃止論
旧漢字の事を調べていますと
「第二次世界大戦後にGHQが日本語ではなく英語を母国語にする事を推奨して、それが失敗してカタカナが残った。」
「第二次世界大戦後にGHQが文字を全てアルファベット表記にするよう指示し広めようとしたが、それが失敗してカタカナが使われるようになった。」
という説が多いようです。
しかし更に調べてみますと、それ以前から漢字の使用を禁じる事やカタカナを使用する事を政府に申請していたり、「日本語の多さから英語にした方がいい。」と言うアメリカから帰国した日本人による英語教育が学校で始まっていたそうです。
最初に漢字廃止を訴えたのは、日本に最初の郵便制度を作った前島密(まえじまひそか)という方らしいです。
前島密は、1866年(慶応2年)に「漢字御廃止之議」という建議書を将軍徳川慶喜に提出しました。これは、国民の間に学問を広めるためには、難しい漢字の使用をやめるべきだという趣旨のもので、わが国の国語国字問題について言文一致を提言した歴史的な文献です。彼は青年時代、江戸から帰省したとき、みやげの絵草紙と三字経を甥に教えてみて、漢字教育の難しさを痛感し、漢字廃止を思い立ったそうです。その後も、国語調査委員としてこの問題に取り組みました。
引用元 前島密‐日本郵政
と記されています。
国家の打ち出している教育を広める為には、習得に時間のかかる膨大な漢字を覚えるよりも、アルファベットのような音のみを用いる事。
つまりカタカナや平仮名のみの使用で、漢字を完全に廃止するべきだと言うのが、前島蜜による「漢字御廃止之議」です。
また平仮名のみの文化を広める為に平仮名のみで記載した「ひらがなしんぶん」というのを発行していたらしいのですが、その頃は新聞を読む習慣が無いのと、新聞を読んでいる上流階級の人ですら「ひらがなだけでは読みにくい!」と反論されひらがなしんぶんはわずか1年で終了したらしいです。
明治初期には田村拓郎という方が「ローマ字國字論」というのを提唱していました。
明治元年が慶応4年なので、明治前にすでにこのような動きがあったようです。
ちなみに、明治の前は江戸時代だと思っていましたが、江戸時代と言うのは年号ではないらしいです。
明治の前の年号は「慶応」との事でした。
また、日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで太陰太陽暦(以下、旧暦)を採用していたのですが、その後太陽暦に変わりました。
この事もDSの日本支配に絡んでいます。
明治初期には、初代の文部大臣を務めた森有礼が英語を公用語とするよう提唱、終戦直後には作家の志賀直哉がフランス語を公用語にせよと主張した。
中略
戦後の国語審議会で、伊藤忠兵衛(2代目 1886年~1973年)ら、「かな文字派」=「表音派」が大きな力を持った時期があった。
伊藤忠兵衛は、伊藤忠商事と丸紅の礎を築いた経済人である。
俳句をたしなむ文化人であったが、横書きのカタカナを使うことを推進した「カナモジカイ」の設立に携わるなど、戦前から戦後にかけて、漢字廃止運動にかかわった。
「漢字制限論」を唱えた有力な人物は、小説「路傍の石」などで知られる作家、山本有三(1887年~1974年)である。
戦後、GHQの勧告を受けて文部省は、国語政策を提言する組織である「国語審議会」の中に、「標準漢字表再検討に関する漢字主査委員会(以下 主査委員会)」を設けたが、その委員長に就任したのが山本だった。山本は、戦前から「ふりがな廃止論」を唱え、漢字の大幅な制限を主張していた。
安田敏朗の著書「国語審議会」(講談社現代新書)は、このあたりの経緯を詳しく記している。山本は1946年3月に結成された「国民の国語運動連盟」の中心人物でもあった。日本国憲法の口語化を申し入れ、実現させたのも、この組織の中心メンバーだったという。
連盟の設立発起団体には、先に触れた伊藤忠兵衛らが設立した「カナモジカイ」など33団体が名を連ねた。
この連盟の前身は「国語文化研究所」であり、その設立の契機は、GHQの海軍大尉が山本有三邸を訪問したことにあったという。
ホールから日本語の難解さを指摘された山本らは、かねてからの主張もあり、GHQの力を借りる形で民間団体糾合をはかった。
その意味では、「山本の背後にGHQの影を感じないといったらウソになるだろう」と安田は記している。
山本は、1946年の「主査委員会」において、それまでの「常用漢字」という言葉ではなく、「当用漢字」への名称変更を求め、了承された。
山本には、社会情勢に応じて、数年ごとに修正し、将来は別に作る「教育漢字表」(義務教育期間中に読み書きともにできるようにする当用漢字表の中の881字)の線に近づけたいという意図があったのだという。
他にも漢字廃止論を唱えていた方はいたようです。
戦後はアメリカやフランスなどは発展しているのに日本は発展していない事から、日本語や文字の膨大な数が学習能力を下げていて、日本の発展の妨げになっているという考えの元に再び日本語廃止論や漢字廃止の動きが活発になっていきました。
この流れがGHQからの流れなのかもしれませんね。
また、海外から帰国した人々が本気でそう思った事からというのもあるかもしれません。
志賀直哉は敗戦後昭和21年4月に雑誌『改造』に
「日本語は不完全で不便であり、そのため文化の進展が阻害されている。
これを廃止して代わりに「世界中で一番いい言語」であるフランス語を採用してはどうか。」という内容の事を記述しています。
これはあまりにも突飛すぎていて、もちろん採用される事はありませんでした。
「小説の神樣」志賀直哉の日本語廢止論に全文が掲載されていますので、興味のある方は是非ご覧下さい。
1949年には当用漢字が制定され、旧漢字から新漢字へ、また一部の漢字を廃止しました。
これが現在使用されている漢字です。
この理由は、学習能力を高める為や書く事をもっと簡素化して書きやすくする為と記されていますが、それは表向きでタイトルに書いたように日本人の「氣」を封じ込める為だったのです。
漢字廃止論はこの「漢字御廃止之議」が最初と言われていますが、以前からもこのような動きはあったと思っています。
かなり太古の時代から日本の氣を封じ込める事をしようとしていたと思っています。
旧漢字の氣の込められた意味
言葉もそうですが、文字にも波動があります。
波動の高い文字を書けば、その波動が伝わります。
波動の低い文字を使えば、周りの波動も低くなります。
そしてスピリチュアル(精神世界)からも離れてしまうのです。
氣・気
まずここでも使用している「氣」ですが、現在は「気」に変換されています。
元氣などに使いますが
氣の下の米は玄米の事で、お米(玄米)を食べると回復する事
米は八十八から出来ていて「お米を作るのには八十八の手間がかかる」事から米という字になった。と言う意味や、「横線(穀物の穂の枝)と6点(穀物の実)」の象形から出来た。と言う意味があります。
また、お米は人間が生きていく上で大切な栄養源になりますが、シリウス星人がこの地にもたらしてくれた大切な命でもあります。
それだけ波動の高いお米ですから、「回復する」のは当然ですよね(*^^*)
病氣もそうですね。
病を米を食して回復させる。
「氣」という感じからも回復の波動が良い氣が出ているのですね。
これを見て「あ!」と気づいたのですが、現在の気の「メ」は良い波動・氣を封じ込める為だな!
そう思ったらやはり「エネルギーを抑え込む」と書いてありました。
もうこれからは絶対「気」は使わないようにします!
神・神
神の「示」は、神様にお供えを捧げる台を意味していて、「申」は象形文字の稲光(雷)から来ていて、「天の神」を意味しています。
ネになった意味はまだ分かりませんが、私の考察では天界と私達の繋がりを絶つ為に「示」から「ネ」に変更したのではないかと感じています。
ちなみに「榊」は、神様にお祀りする木なので、木+神から成り立っています。
また、昔は結婚すると女性は「かみさん」「おかみさん」と呼ばれていました。
結婚して子供を天から授かり命がけで産む事から、「神さん」からおかみさんという言葉になったようです。
しかしいつ頃からか「奥さん」と呼ぶようになりました。
これは諸説ありますが、「家に入ったら出さない。」という意味があるそうです。
きっと神聖なる女性を大切にする文化から女性軽視の文化へと変える為のように感じるのはわたしだけでしょうか?
靈・霊
靈とは、本來「魂」の事。
「靈」の一番したの「巫」は巫女を表しています。
真ん中の口口口は、肉体の入口、心の入口、魂の入口を表していて、この意味は三位一体となると宇宙や高次元・靈と繋がる事が出来るという意味です。
これは、スピリチュアル(精神世界)と繋がるという意味です。
一番上の「雨」はそのままの雨ですが、「靈」は巫女が口で雨を受け取っている様子を表している象形文字から来ているようです。
肉体の入口、心の入口、魂の入口、この3つの口を開く事で高次と交信し、智慧を頂く事が出来ます。
太古の時代は巫女やシャーマンだけでなく、皆が交信し智慧を授かりながら、宇宙や自然と共生していました。
その靈力や波動が宿っているのが「靈」という漢字です。
現在の「霊」は口がなく巫では、なくなっています。
これは高次ではなく低次元を表す字で、靈力を閉じ込めるだけでなく、次元の低い波動が出るようになっているようです。
これを読んでいる方もこれからは「靈」を使用して下さい。
多くの方の使用により波動が上がり、低い波動も変容していきます。
今の地球にとっても必要な事です!
體・体
「體」は、骨と豊で出来ています。骨がしっかり整っている状態が健康体であり、豊かな精神も育まれます。
骨は基本になり、歪むと様々な不調へと繋がりますよね。
その本質が込められているのが「體」という文字です。
「体」という漢字は、もともとは「からだ」という意味の漢字ではなく、読み方も「ほん」という読み方だったそうです。
体(ほん)の意味は、「劣る」とか「荒い」という意味です。
體という漢字は画数が多いから体になったという説がありますが、これは間違いなく日本人の體を劣らせる為の工作だと思います。
惡・悪
亞の真ん中の十字のような文字は、象形文字で古代の墓を上から見た形です。
意味は、「ご先祖様の靈を祭るのは次の世代」という事から、「つぎ」の意味が生まれたそうです。
また、「みにくい」「不快な感じがする」という意味もあります。
惡の下の心は心臓を表しています。
「古代の墓の部屋を上から見た象形」と「心臓の象形」から、墓室に臨んだときの心、「わるい・いまわしい」を意味しているそうです。
私の考察ですが、「悪」や「亜」は十字の部分に線2本入れる事でご先祖様と通じ合う事を絶つ為、ご先祖様とのご縁を絶たせる為に入れたのではないでしょうか⁈
海・海
私が子供の時に習ったのは「海」と「海」どっちでもいいと教わったような記憶があります。
「氵」は字の如し流れる水を表しています。
「每」は、女性の長い髪を表していて、黒い、暗く広い、度量が広く大きい樣を表しています。
「母」は、,度量が広く大きく、広く深い愛の持ち主であるから、そこから広く深い神秘的な海を表現しているのですね(^^)
「毎」に変換したのも、このような女性的な広く深い愛の波動を封じ込める為なのでしょうね...
福・福
神様にお供えを捧げる台の「示」と、神様に捧げるお酒の樽を意味する象形から、
神に酒を捧げ幸せになる事を祈る樣を表す漢字です。
これもやはり「ネ」にする事で、幸せを阻む事に繋げたのかなと感じました。
和多志・私
まず「和多志」の「和」は、日本の事も表しますが「調和する」「やわらぐ」「なごむ」「穏やかにする」などの意味があります。
「多」は、「大部分」「多くを占める事」という意味合いです。
「志」は、「ある事を目指す気持ち」ですが「親切」「思いやりのある心」という意味もあるそうです。
「士」は足を象形していて、「心」は心臓を表しています。
「心の向かうところ」これが志です。
「和多志」は「多くの志を和す。」という意味で、多くの志や、思いやりのある心を多く占める日本人を表す言葉ではないでしょうか。
ちなみに「和多志」は1人を指す言葉ではなかったようです。
自分の事を「和多志」と使うようになったのが、慶応時代(江戸)の頃のようです。
そこから明治になるわけですが、やはり明治から「私」に漢字が変わったんですね。
「私」の「「禾」は稲を意味しています。
「ム」は、小さく囲い込むという意味です。
「稲=財産を囲い込む」それが「わたし」になってしまいました。
この違いを見て感じたのは、和多志は日本人の愛と調和の取れた精神や、志を抱き大きく羽ばたくイメージになります。
しかし「私」は囲い込むというか、小さくさせられ閉じ込められるような感覚になりました。
きっと書けば書くほど、小さく閉じ込められていくんだと感じました。
※ 参照サイト
OK辞典:漢字/漢和/語源辞典(漢字の意味/成り立ち/読み方/画数/部首)
【氣を封じ込められた漢字】について思うこと
これはほんの一部です。
まだまだ多くの漢字の氣が閉じ込められています。
氣を閉じ込めるのは、日本人の本来の靈力や氣力を封じ込める為と、調和や共存の精神を分離や所有欲に変え、とことん支配しやすくする意図と日本人撲滅の意図しかありません。
今こそ私達は波動を上げ本来の日本を取り戻さなくてはなりません。
そして、元々持っていた能力であるスピリチュアル能力を取り戻す為にも、言葉や漢字に氣を使うべきです(^^)
ですから、これをどうかお知り合いやお友達にお伝え下さいませ<(_ _)>
そして、ここから出来る限り旧漢字を使い、日本の波動を上げ、日本人の氣を取り戻していきましょう!
みんなの力が大きな力となり、スピリチュアル(精神世界)と繋がり、高波動に達する事が出来ます☆彡
どうかお願い致します<(_ _)>
ここでは漢字だけでしたが、平仮名も正しい使い方があります。
例えば「じゃあ〇〇しよう。」のじゃあは正解は「ぢゃあ」です。
中学の頃「ぢゃあ」がなぜか流行って手紙とかに「ぢゃあ○○しよう!」などと書いていたら、学校の先生に「きちんとした字を書きなさい!」と怒られました。
私達もふざけて使っていたのですが、正しい日本語だったんですね♪
また、現在は政治家や有名人が英単語を多く使っています。
これも日本語を衰退させる意図があります。
和多志も英単語を使ってしまいますが、出来る限り使わないようにしています。
ですから、皆さまもどうか英単語も出来る限り使用しないよう氣にかけて下さいませ。