【「死」についてのスピリチュアルメッセージ】死は今世の學びの終わり・今世からの卒業
「死」は誰にとっても避けられない現実ですが、スピリチュアルな視点から見ると、今世の學びの終わりであり、魂の卒業と言えます。
悲しみの感情を素直に受け入れ、死に向き合う心の持ち方を學びましょう。
死は今世の學びの終わり・今世の學びからの卒業
身近な人が死を迎えるという事は悲しい事です。
でも、「死」は今世での命は無くなりますが、魂は永遠です。
今世で死を迎えるという事は、今世での學びが終えたからです。
言うなれば、今世での學びを終えて今世から卒業したという事❢
今世での魂の學びが終わり、魂は源に還っていきます。
死を迎え時は、人それぞれで年齢が若くても早く亡くなる方は魂の學びや今世での経験が少ないから若い年齢でも死を迎える事となります。
生まれてすぐに亡くなる子もいます。
可愛そうでとても悲しい事ではありますが、「生まれる」という経験をするだけに生まれてきた魂なのです。
このように魂により、今世で経験する事や學びは人それぞれです。
「死」は今世の學びの終わり・今世の學びからの卒業なので、本來は無事に學びを終えて卒業し源に戻るのですから喜ばしい事なんですよね。
この事を知っているのとしらないのでは、誰かの死を経験した時の向き合い方が変わっていくと思いますし、自分が死ぬという事も恐怖心でいっぱいになる事も少なくなるのではないかなと思います😊
誰かの死を経験した時悲しんではいけないの?
では、このような事を理解しているから、悲しんではいけないのでしょうか?
死は今世からの卒業だと分かっていても悲しくなる。
死は今世からの卒業だと分かっていても、喜んで送り出す事が出來ない。
と思う方はたくさんいらっしゃいます。
答えは「NO」です!
「悲しんではいけない」なんて事はありません。
悲しいと思うのなら、涙が込み上げてくるのなら、泣いていいんです。
悔しさが込み上げてくるのなら、悔しい氣持ちを抑える必要はありません。
だって、その人との関係性が終わるのですから悲しくないはずはありません。
その人とあなたの関係性は今世だけのものです。
未來世で親子や友人など今世と同じ関係性になったとしても、今のあなたとその大切な人との関係性は今世だけでしか経験出來ません。
今のあなたとその人が親子であったとして、どこかの未來世でまた親子や友人という同じ状態になれたとしても、今のあなたとその人との関係性も造形も性格も名前も全て今世だけの事です。
今世のあなたとその人との関係性が無くなるのですから、悲しくないはずはありません。
ですから、悲しいと思うのでしたら無理にその感情を抑える必要もありませんし、無理に「死は今世からの卒業だ。」と自分に言い聞かせる必要もありません。
悲しみが癒えるまで悲しむ事です。
「死」に対しての感情を閉じ込めない
本当は悲しいのに無理矢理その感情を抑えて「悲しい」という感情を閉じ込めたり、無理矢理「死は今世からの卒業だ。」と自分に言い聞かせるから、感情の歪みが起こるんです。
どのような時もそうですが、その時に出てきた感情を抑える事は本來の自分の感情を閉じ込めてしまう事になります。
そして、それがやがて歪みへと発展していきます。
無理矢理自分に「死は今世からの卒業だ。」と言い聞かせたからと言って悲しみや苦しさが無くなるわけではありませんし、「死は今世からの卒業だ。」という事が腑に落ちる事はありません。
無理に自分の感情を抑えたり無理矢理自分に言い聞かせると、その反動が起こります。
悲しみや苦しみを抑え続けると、その感情がある時爆発したり自分の感情が分からなくなるという事や、病氣にも繋がっていきます。
ですから、出てきた自分の感情に素直になっていいんです😊
大切な人が亡くなって「悲しい」「苦しい」と思うのでしたら、それはあなたの素直な感情です。
それを出し切って下さい。
その人の死を素直に悲しんで下さい。
そうすれば、いつしか悲しみが癒えてその人の死を受け入れる事が出來るようになります。
受け入れる事が出來るようになった時、初めて心から「その人は學びが終えて旅立ったんだ。」という事が腑に落ちていきます。
それでいいんです😊